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感謝の手紙

お給料をこんな事に使ってます(1)
東京都 K・Yさん 29歳n
-----わずか2カ月で"67万円"オーバー
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私は、高校を中退していて、いつも悔しい思いをしていました。中卒の私には正社員の道はありませんでした。
実家に住みながら、アルバイトで工場や印刷会社の派遣スタッフなどをしていました。お金を稼げなくてもいいから責任のない仕事を選んでいたように思います。

これまで、まともな恋愛もしたことがありません。いとこや周りの友人もどんどんと結婚していきます。いとこが全員、大手や大企業に勤めているので、正月の集まりや法事 同窓会などでは本当に情けない思いをしていました。

ただ、そんな現状をどうすることもできず、「自分の人生はこのままで終わっちゃうのかな」と思っていたある日、偶然にもネットで、「オーシャンズリクルート」を見つけました。そこに登録している人の中には、自分の何十倍もひどい状況から、こんなにも成功されていることに本当に驚きました。また、「自分にも何かできるかも」という自信が強く湧いてきました。

そして、オーシャンズリクルートの登録したのがきっかけで、高収入のバイトや副業について知りました。そして、担当者のお話通りに、自分に合った稼げるお仕事を教えていただきました。会話するだけで、直接会わないで、収入を得ることができるというのは、私の性格に本当に合っていると思います。

副業バイトを始めて2カ月で、67万円を超えました!そして、今では、おそらく同年代の大企業のOL以上に収入が増えて、今まで迷惑ばかりかけていた両親に旅行に連れていったり、親孝行ができるようになり、ぎくしゃくしていた親子関係が改善されました。しかも、今では、法事などで親戚と会っても、悔しい思いをすることも全くなくなりました。自信がついてきたので、人とコミュニケーションをすることにも積極的になり、副業をやっている人達の飲み会などにも参加して、今までにいなかった友達というか仲間もできてきました。

身につけた「話術」を活用して、リアルな店舗型でメンズエステにも挑戦しようと思っています。サポートの担当者さんに、お客さんの獲得方法も教えていただいたので、来月からチャレンジしてみます。恐らく、数カ月後には月収89万円は確実に超えると思います。収入も大企業のOLさん以上になり、さらに、仲間もでき、何より、自分に自信がつきました。

面接担当の佐藤さんからいただいた「人生はいつからでも、何度でも必ずやり直せる!」という言葉を胸に、これからも自分のスタイルで楽しく仕事をしていけたらと思っています。
お給料をこんな事に使ってます(2)
群馬 柏原美里 21歳
19歳の不良少女が、
六本木のキャバクラで働き
3ヶ月でNo.1になった話


------母に一軒家のプレゼントをしたい、、
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もうこの際なのですべてを正直にお話します。
私は18才の時、非行にはしり、2度の逮捕を経験しています。

本当にどうしようもなく、情けない女です。

世の中に「凡人」という言葉が存在しますが、私はその凡人が天才に見えてしまうほどの下の下の下、まさに底辺とも言える人間でした。

中学校というよりか、むしろ小学校からろくに学校へも行っていなかったので、小学校卒業ともろくに言えないような人間です。

当時はほんと暴走族(レディース)がかっこよく見えてしまいすぐに入会をしました。世の中の流れに歯向かうことこそが女の中の女だと勝手な妄想を膨らまし、非行の階段を着実に上り続けていました。

爆音をまき散らしながら街中を走り回るのは日常茶飯事で、レディース同士の喧嘩にも明け暮れていました。
今思えば、なんて馬鹿だったんだと穴があれば潜りたくなります。

一度目の逮捕の際には、反省どころかむしろ「私に箔が付く」なんて馬鹿なことを思っていたのですから、ほんと手の付け所が無いほどの馬鹿です。

そんな馬鹿な私ですが、二度目の逮捕の時に私の人生を変える大きな出来事がありました。

二度目の逮捕となった私は、またこりもせず1mmも反省の色を見せませんでした。
冷たい床に座り込み、ただじっと反抗的な態度を取っていたのです。

そんな時、母親から一冊の本と、一枚の手紙が届きました。
私はその本と手紙を受け取り、また冷たい床へと座りこみました。

母親から手紙なんて一度ももらったことの無かった私は、照れをひた隠しにするかのように本と手紙を部屋の隅へ投げ飛ばし、また腕を組み静かに黙り込み始めました。

すると同部屋の女性が突然私に話かけてきたのです。

「あんた、今、手紙貰ったんだろ?母親か?読んどいた方がいいよ。絶対読んどけ」

いきなり話しかけてきた女性に、私は無視という選択肢を取りました。するとその女性はいきなり立ち上がり、手紙を拾って私の目の前に突き出しました。

「いいから読みなさい!」

その女性のあまりもの迫力に私は手紙を受け取り、封筒を開け、中の手紙を広げました。
その瞬間から、私の頬に大量の涙が流れ始めてしまったのです。

手紙の中にはたくさんの内容が書かれていたのですが、私の心に一番響いた内容があります。
少し恥ずかしいのですが、すべて包み隠さず今回ここにその内容の一部をお伝えしたいと思います。

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美里、ずいぶんと辛い思いをさせてしまったね。ごめんね。
美里が今どれだけ辛い思いをしているか、お母さんわかるよ。
美里はいつも頑張り屋で、真っ直ぐで、とても優しい子だから、お友達を想っての行動だったんだね。そんな美里をお母さんは誇りに思ってるよ。
ただね、美里。美里は頑張りやさんだから、たまには甘えることも必要だよ。
あなたが泣きたいときは、泣いてもいいの。その時は私も一緒に泣くから。
あなたが逃げ出したいときは、逃げたっていいのよ。その時は私も一緒に逃げるから。
でもね、命だけは大切にしてちょうだい。
もしあなたがこの世に居なかったら、お母さんにとっては生きる価値が一つも無いの。
辛くなったらいつでもお母さんのところへ戻っておいで。
あなたは私の大切な娘なんですから。
あなたは私のすべてなんですから。
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今、この手紙を読み返してみても、やっぱり涙が出てしまいます。母親ってどうしてこんなにも優しいんだろうって心から思ってしまいます。
私が今こうしていられるのも、全て母親のおかげです。

母親はいつも私に言います。

「人には正直に、そしていつも優しくいなさい」

私は今でもこの言葉を心に刻み生きています。
そのおかげもあって、今こうして最高に幸せな人生を歩めているのだと思います。

私の人生はまさにこの瞬間から始まりました
私はこの母親からの手紙で人生が劇的に変わりました。
劇的という言葉すらも当てはまらないかもしれません。
180度ひっくり返ったのですから。
まさに私のターニングポイントはここにあると言っても決して過言ではありません。

ここからの私の人生は一言でいうのなら、

「全力疾走」

まさにこの言葉がぴったり当てはまると思います。

私は母親になんとか恩返しをするためにも仕事で成功を納め、その姿を見せたいと思ったのです。

「限界まで頑張ってみよう!」

まさに私の第二の人生が始まった瞬間でした。

しばらく実家で家事手伝いをしながらスマホを片手に、何かこんな自分でもできる仕事がないかと、探してたら偶然にも水商売の世界があるのを知りました。

恐る恐る母親に相談したところ・・・

「美里が真剣に決めたことならお母さんは応援するだけだよ」

と言ってくれました

私は覚悟を決め上京して派遣事務所へ面接しに足をはこびました。
面接していただいた方がそれだけ、覚悟を決めているならと六本木の某有名店を推薦してもらえました。

クラブホステスを選んだ私は「全力疾走」無我夢中で仕事に取り組みました。

その結果、わずか3ヶ月でお店のNo.1となり、そのことを報告した母親は心から喜んでくれたのです。

暴走族(レディース)の時に養った絆はけして無駄ではなかった・・・
どんな経験も無駄はない・・ 母が幼いころから私に言い聞かせてきた言葉をようやく理解することができました。

これが・・・

なにをやっても中途半端だった私が、生まれて初めて何かを成し遂げた成功体験ストーリーです。

狭いアパートで女で一人私を育ててくれた 母親に一軒家のプレゼント
お給料をこんな事に使ってます(3)
埼玉県 T・Rさん 25歳
◆本職のスキルを活かし「月58万円」を稼いでます。

----私は何をしても続かない人でした。

最初の就職先はメーカー系企業。 しかし、勤め始めて3ヵ月で上司と衝突し、退職してしまいました。 それ以降に就職する会社も「面白くない」、「やりたくない」、「私のやりたかったことじゃない」と就職しては辞めてしまうの繰り返しでした。そうしたことをくりかえしていくうちに、私の履歴書には入社と退社の繰り返しとなってしまい、ついに、私を正社員として雇ってくれるところはなくなってしまったのです。

生活のためには働かなくてはならない!
結局、私は派遣会社に登録しました。

ところが派遣も勤まりません。派遣先の社員とトラブルを起こしては辞めてしまう....履歴書には辞めた派遣先のリストが長々と追加されるのでした。

そんな日々が続いたある日のことです。私に新しい仕事がやって来ました。大手スーパーのレジ打ちの仕事です。

ところが、勤めて1週間もするうちに「私はこんな単純作業のためにいるのではない」と考えるようになったのです。

そんなことを思っていた矢先、お母さんから電話がかかってきました。

「帰っておいでよ」

母の一言に決心し、辞表を書き、荷造りをしてたとき、机の引き出しの奥から1冊のノートを見つけました。

幼い頃に書いた大切な日記でした。
そのノートに「ピアニストになりたい」と書かれていたページを見つけました。私が唯一続けられたもの、それがピアノの練習でした。「いままたいやになって逃げ出そうとしている」....そして思い起こしたかのように、お母さんに泣きながら電話しました。

「私、もう少しここでがんばる」と....
私は辞表を破り捨て、翌日も単調なレジ打ちの仕事をするために出勤しました。
とある時、「2、3日でもいいから」とがんばっていた時に、ふとある考えが浮かびました。

「ピアノを練習していくうちに鍵盤を見ずに、楽譜を見るだけで弾けるようになった。」と....

そして、心に決めました。
「そうだ、私流にレジ打ちを極めてみよう!」
私はキーの配置を覚え、ピアノを弾く気持ちでレジを打ち始めました。すると、不思議なことに、これまでレジしか見ていなかった私は、今まで見もしなかったところへ目をいくようになったのです。

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした。

「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」
「この人は安売りのものを中心に買う」
「この人は高いものしか買わない」など....

そんなある日、
いつも期限切れ間近の安い物ばかりかうおばあちゃんが5000円もする尾頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです。

私はびっくりして、思わずおばあちゃんに話しかけました。

「今日は何かいいことがあったのですか」
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ」
「いいですね。おめでとうございます」

これがきっかけで、私はたくさんのお客様とお話ができるようになったのです。
ある日のことでした。
「今日はすごく忙しい」と思うほど、忙しい日でした。

そして店内放送が響きました。 「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが、わずかな間をおいて、また放送が入りました。
「本日は込み合いまして大変申し訳ございません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジにお回りください」

そして3回目、同じ放送が聞こえてきた時に、初めて私はおかしいと気ついたのです。そして周りを見て驚きました。

お客様は自分のレジにしか並んでいなかったのです。
店長はお客様に「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」と言った
その時でした。

「私はここへ買い物に来ているんじゃない。あの人としゃべりに来ているんだ。だからこのレジじゃないとダメなんだ」

その瞬間、私はワッと泣き崩れました。
その姿を見て、お客様が店長に言いました。

「そうそう。私たちはこの人と会話をするのが楽しみで来てるんだ。今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。だからこのレジへ並ばせておくれよ」

私はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。
仕事というのはこれほど素晴らしいものだと、初めて気ずいた瞬間でした。

その時。すでに私は、昔の自分ではなくなっていたのです。

●現在は本職のスキルを活かしライブチャットとメールレデイで、「月58万円」を稼いでます。
お給料をこんな事に使ってます(4)
東京都 A・Tさん 26歳
______都内某有名店 不動のNo.1

●月収は約300万円

●TVや雑誌の取材に追われる毎日

今では煌びやかな日常と豊かな生活を手に入れた私ですが、過去の体験談を話すとかなりおどろかれます。

私の父はギャンブルとお酒だけが唯一の生きがいで昼間はパチンコか競輪、そして夜になると大酒を飲み家に帰ってきては暴れる毎日でした。

もちろんそんな父親ですから、いろんなところから借金を作り、毎日のように玄関のドアは「ガンガンガンガン」と鳴り響き、怖い人達が「金を返せ!」と怒鳴りちらしていました。
小学生の私には毎日が恐怖でしかありませんでした。

父はもちろん働いていませんから母が変わりに働き、お昼はパート、そして夜はスナックでアルバイトをし、ボロアパートの家賃とギリギリ食べていけるだけのお金を稼いでくれました。

実際、母はそんなに働けるような人ではないんです。

いつも病気がちで夏には脱水症状で入院してしまうくらい身体が本当に弱い人なんです。
それでもまだ幼い私らを養っていかなければいけないという想いで身体を酷使しながら毎日お金を稼いでくれました。

ですが、そんな必死に稼いできてくれた母のお金にも関わらず、またそれでもギリギリの生活をしなければいけない状況にも関わらず、父は母からわずかなお金を奪い取ってはギャンブルとお酒に明け暮れていたのです。

まさに漫画に出てくる世界がそのまま私の家庭だったのです。

母はいつも疲れ果てた顔をしていましたが、私ら二人姉妹の前ではいつも笑顔で接してくれて、節約に節約を重ねて私ら姉妹二人に少しではありましたがお小遣いもくれました。

ただでさえ生活が厳しく、また父にもお金を奪われ厳しい生活をさいなまれている中、私ら子供達の事を想ってお金を作ってくれた母に今でも感謝がとまりませんし、思い出すだけで涙が出てしまいます。

そんな母に私は感謝の気持ちを伝えたく、

_____3900円を貯める決意をしました。

母の優しい想いを私はしっかりと受け止め、私は無駄遣いをせずにお金を貯めて母の誕生日にプレゼントをしようと計画しました。
買ってあげたかったのはニットのセーターです。
私は母が服を買ったのを見た事がなく、いつも同じ服ばかりを着ていたので、おしゃれをしたいはずの母にどうしても新しい服をプレゼントしたかったのです。
私が買おうとしていたセーターは3900円でした。

当時の私には何ヶ月もかかる金額ではありましたが、母を喜ばせたいという明確な目標が出来たので私はそれに向けて必死にお金を貯めていきました。
毎月毎月どんどん貯まっていくお金を見るだけで私はワクワクした楽しい気持ちにもなっていました。
しかし、あと少しで目標達成という間近で事件は起きました。

私の財布からお金が無くなっていたのです。

朝起きたら小銭の三百円は残っていましたが、三千円が私の財布から無くなっていました。
初め私は何かの間違いかと思い財布を何度も開いては中を確認し、床に落ちていないか、鞄の中に落ちていないか、何度も何度も探しました。
しかし、私の三千円はどこにもありませんでした。

私はあまりものショックに呆然と立ち尽くし、その時、本当に何が起きたのか理解ができませんでした。

しかし、夜になり酔っ払った父が帰ってきて全てが判明しました。
私の財布にあった三千円は父のギャンブル代に変わっていたのです。

私はその時、怒りというよりも、

悔しくて死にたくなりました

何年も服を買ったことがない大好きな母に、服すら買ってあげられない自分の無力さに本当に情けなく死にたくなりました。

その時からです。

私は「お金」というものに対して真剣に考えるようになりました。

元々読書は好きでしたから様々な本を読みあさり、またネットでも高収入関連の仕事や色々な情報をかき集めました。
中には「お金が全てではない。お金に振り回される人生はもう止めましょう」というような内容の本も多くありました。
確かにそれは否定しません。
否定はしませんが、私は何かこう綺麗事のようにどうしても聞こえてしまうのです。
そこからさらに仕事に仕事を重ねた結果、私が行き着いた結論、
それは、

お金は”幸せの99%”を買える

という結論に至りました。

批判はもちろんあると思います。
でも私はその批判を受けるのを承知で今回あえてこれを言わせて頂きました。

「お金で幸せの99%を買える」

少なくとも私の大好きな母にアルバイトを辞めさせてボロアパートから脱出し、美味しいご飯を毎日食べさせてあげる事ができ、おしゃれな服も思いっきり買ってあげられる事で、母も私も大きな幸せを感じられます。

お金が無い状態では母はお昼も夜も働きっぱなしの生活を続け身も心もボロボロになり、ボロアパートで毎日ギリギリの生活をしなければいけません。
ですがもしその時、たくさんのお金があったとしたら母は働かなくてもよかったですし、もしかしたら父親も心に余裕ができてギャンブルやお酒に溺れずにすんでいたかもしれません。

それでも
「お金で幸せの99%を買える」
という私の考えは間違っているのでしょうか。

また、例えば借金漬けの人達はお金を貸した人に土下座をして謝り、お金を貸した側の人達は借りに来た人達を社会のクズのように扱います。時には囚人のように扱われたりもします。別に人を傷つけたわけでもなく、ただお金を借りたいだけなのにです。
銀行なんかも同じです。

お金が無い人にこそお金を貸してあげなければ復活も何もできない世の中にも関わらず、厳しい審査を何度もされて、担保や連帯保証も付けられようやく高い利息で少ないお金を貸してもらえます。
逆にお金が有り余っている人には銀行から出向き、何とか金利を安くするからお金を借りてくれないかと銀行側がお願いしてきます。

移動手段だってそうです。
飛行機のエコノミークラスとファーストクラス。
同じ乗り物とは思えないくらい差別をされ、そして出てくる食事や飲み物もまったく違います。

食事だってそう。
チェーン店の牛丼なのか、もしくは鉄板焼きのフルコースなのか。
これらは全てお金があったら解決できることばかりです。
だから私は今回、どんな批判を受けようとも正直な事を言わせて頂きたいのです。

「幸せの99%はお金で買える」という事実を。

ボロアパートで父親が暴れまくっていた家庭で育った女とは到底思えなくないですか?
なぜ私は人生のどん底から、今のような成功を掴む事ができるようになったのか。
それは、

「偶然見つけたオーシャンズリクルートに応募して”ある”お仕事をもらえたから」

これ以外にありません。
この高収入のお仕事が私の人生を180度変えました。これは揺るぎようの無い事実です。



お給料をこんな事に使ってます(5)
東京都 S・Kさん 22歳
父のリストラで学費なし
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「オーシャンズリクルートがあって、本当に良かった……」

大学の授業料を払い、普通の学生生活を送るこ
とができたのは高収入アルバイトのおかげだった。
高校1年生のとき、父親はリストラされた。製造業にも派遣を認める派遣法改正の影響だった。何年就職活動しても正社員になることはかなわず、非正規職を転々とした。


やがてアルコール依存になり、生活費を入れなくなった父親に代わり、母親が時給のパートで生活を支えた。
収入はせいぜい月14万~18万円。私を私立大学に通わせるお金はなかった。

高校は進学校で、大学進学は当たり前の環境だった。祖父母が援助してくれたのは入学金までで、授業料は奨学金とアルバイトで何とかする計画だった。

日本学生支援機構から毎月10万円借りた。“奨学金”と名付けられているが、返済義務のある有利子の借金は4年間で480万円にもなる。
入学してすぐに自宅近くの飲食店で働き始めたが、アルバイトは時給900円。授業を優先すると1日3~4時間しか働けず、せいぜい月3万円にしかならない。

授業料は年間100万円強。途方にくれた。

「大学2年生になる直前の春休みに、学校の掲示板にあった私費留学のポスターを見た。50万円が必要だったけど、どうしても行きたくて、もう高収入のお仕事選ぶしかないって瞬間的に思いました。心の底からお金が欲しいと思った」

その日のうちにオーシャンズリクルートに応募して、採用された。翌日出勤してお店から3万7000円のお金を日払いでもらった。

「こんなにお給料がもらえるの、」って驚きました。1カ月くらいで最初の目的だった50万円は超えた。でも、全然仕事を辞める気が起こらなくて、まだ続けています。奨学金の返済があるから就職しても辞めません」
お給料をこんな事に使ってます(6)
神奈川県 A・Mさん 27歳
-----孤独と絶望

私はつい最近まで、会社員で朝から夜遅くまで働いていました。
(もちろん残業代も出ない会社でした)

家に帰ったらヘトヘトで、
コンビニ弁当とチューハイを飲んで、
そのまま倒れるように寝る毎日。

自分の未来に希望も持てず、
仕事も行きたくないし、
上司や同僚にも心を開ける人は一人もおらず。

人だらけの東京で、
本当に孤独を感じながら生きている人間でした。

このまま年をとり、大した夢を叶えることもできず、
自分の人生は終わってしまうのか・・・
そんな暗い気持ちで、日々を過ごしていました。

でも、今は夢のような毎日を過ごせています。

自分の好きなときに、好きな場所に行って、
食べたいものを食べて、好きなことをして過ごす。

2年前の自分からは、想像できないくらい、
希望に満ち溢れた毎日を送れていると思います。

平凡で、自分に自信もなくて、
何事にも卑屈だった私が、
劇的に変わったきっかけは、高収入アルバイト、
「オーシャンズ・リクルート」との出会いでした。

友人から効率よく稼げる高収入バイトがあるからと、
スタバで話を聞いたんですね。

週末だけシフトを入れて「20万円以上稼いでるよっ」て、
毎月+20万円というあり得ない額の貯金が出きると言われさらに初心者が働いても、
経験者が働いてももほぼ同じ高収入が得られるという・・・

最初は、
「こんなおいしい内容ぜったいおかしいよ(笑)」
と思いました。

だって、そんな上手い話があるんだったら、
私は今まで何をやっていたんだ、ということになるじゃないですか。

でも、1日2時間からでもできると言うし、
実際に短時間で稼いでいる人もたくさんいるそうだし、
友人がそこまで言うのなら、応募する価値はあるかなと思い、
思い切って面接を受けて働いてみることにしたんです。

すると、、、、

月末には20万円が、振り込まれていたんです!

私がしたのは誰でもできる簡単なマッサージ 教えてくれる事に従って接客したことだけ。
それだけで、短期でこんな高額なお給料がこれだけもらえるとは。

期待していなかっただけに、大きな驚きとともに、
もっとシフトをいれれば、いくらまで稼げるんだろう?

と、ワクワクした気持ちにもなりました。

その後は、シフトも増やし、
今では自分の口座に400万円を超える金額があります。

ほんの2年前には考えられなかった金額です。

毎日が職場と家の往復で、いつもヘトヘトで表情も冴えず、
何も希望をもっていなかった自分ですが、

今は自由に海外旅行を満喫して、
高級ホテルに躊躇せずに泊まりながら、好きなことを楽しむ。

こんな素晴らしい毎日を送ることができるとは、
思ってもいませんでした。


たまにお仕事をすれば、それで生活するのに十分なお金と、
旅行するお金を稼ぐことができます。

だから、それ以外は自由な時間。

いろんな国で、自由に時間を過ごしているから、
その日によってスケジュールは全然違いますけど(笑)

副業をやって本当によかったなと思っています。

毎日憂鬱な気持ちで会社に行く必要もないし、
嫌いな上司との苦痛な時間を耐える必要もない。

「はぁ、こんな嫌な毎日がいつまで続くんだろう?」

って思っていた頃が懐かしいくらいです。

逆に自由時間が多すぎて、
退屈に感じてしまうこともあるのですが(笑)

人間、強く願っていれば、その思いは叶う。
私はそのことを本当に強く実感しました。


自分も最初は半信半疑でしたが、
豊かになるためには、どこかで行動に移さなければなりません。

何も行動を起こさず、ただ願っているだけでは、
人生は変わりません。

訪れたチャンスを、軽い気持ちで掴んでみる。

ほんの少しのきっかけで、人生というものは、
大きく変わっていくものだと思います。

私は特に接客の経験があったわけではないですし、
仕事のできるタイプでもありません。

それでも、このように結果を出すことができたのは、

「誰がやっても高収入を得られる」

オーシャンズ・リクルートがあったからだと思っています。

私のように、報われない会社員の生活が嫌になって、
時間の自由、経済的な自由を手にしたい人にも本当におすすめです。

これからも末永く宜しくお願いしますm(_ _)m
お給料をこんな事に使ってます(7)
東京都 S・Hさん 25歳
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報告書

H27年8月24日 
期限内に完済が警告された金額は約1億円”
頼る身内も一切なし。
貯金もゼロ。
免責不許可事由のため自己破産もできない。

また 正規社員 パートアルバイトの収入では、
       期限内に "1億"の返済は不可能
           及び一家を救済する手段は、

                 ほぼ「皆無」0%

                司法書士 田中 稔
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___父が残した1億円の借金

わたしが、21歳の時、
突然、父を亡くしました。

最初はあまりにも早い別れにパニックになりましたが、
ただ悲しんでいるわけにも行きません。
父は事業を営んでいたのですが、母が病気がちでそれを私が引き継ぐ必要があったのです。

そのために、私は最高の環境であった大学を辞め、
同時に最愛のバレエとも別れを告げました。

父との別れ、そしてバレエとの別れ。
ここが私の人生の最初のターニングポイントでした。

父の事業を受け継いで、さあ今からどうやっていこうと思っていたところ、
父の死と同じくらいの衝撃的な事実を目にしました。


なんと、父は会社だけでなく、「1億円」という借金も残していったのです。

バレエ漬けで社会のことを何も理解していなかった私は

1億円もの非情な借金を背負う

事になったのです。

私は事業をあとつぎすると同時に、借金も引き継ぐことになりました。

あたし自身が何か大きな失敗をしたわけでもないのに、
突然背負わされた多額の借金。

当然、返すアテもありません。

文字通りバレエばかりやっていた人生ですし、
当然、それだけの金額を稼ぎだす能力なども
一切身についていないからです。

次いでに恐ろしい知らせを受けました。
免責不許可事由のため自己破産さえもできなかったのです。

しかし、会社の代表である私に稼ぐ手段が無くとも、
債権者の人たちには全く関係ありません。

連日連夜、債権者からの容赦の無い取り立て 私はノイローゼになりました

本当に地獄のような日々を過ごしました。

「私の借金は1億。来る日も来る日も返済が終わらない。
私なんかには絶対に返せるはずがない・・・」

と、心の底から絶望していました。

一時期は本当に、毎日自殺のことを考えていました。
飛び込み、睡眠薬、首吊り、リストカット・・・

どんな方法ならなるべく痛みを減らして死ぬことが出来るのか?

自殺サイトを眺める地獄の日々

をしばらく続けていました。

しかしある時、そんな地獄のような日々に転機が訪れます。

「高収入アルバイト」副業との出会いです。

当時私は父の事業を引き継ぎ、
名ばかりですが一応経営者だったので、かなり迷いました。

ですが、父から事業を引き継いだとは言っても、
私が経営初心者である上、そもそも稼ぐスキルがなかったので、

このまま事業を続けても背負った借金はいつになっても
返せないことはわかりきっていました。

そして私は意を決し、その副業にチャレンジすることを決めたのです。

そんな中、私が紹介されたお仕事は、「高収入アルバイト」でした。

そうです、これが私と、
高収入アルバイトとの出会いどん底人生からの転機
だったのです。

当然ながら、最初は何をしていいのか全くわかりません。

なんせ未経験ですし、
はじめての仕事場なので、スキルが何もないのです。

まさに、目隠しで手探りの状態でした。

何をしていいのかわからないのですが、紹介してもらった手前、とにかくやれることだけをやってみました。

というか”やるしかなかった”

私は必死で働き、
どうやったら効率よく稼げるか徹底的に学びました。

事情を知っていたオーシャンズ事務局の方からアドバイスをもらい、ひたすらに仕事を繰り返す日々でした。

繰り返し、失敗も経て3ヶ月が経過した頃、
ようやく仕事の"コツ"のようなものを掴むことができました。

そこからは面白いように物事がうまく進み、
これまでの先行き不透明を吹き飛ばすかのような快進撃が始まりました。

私の収入がいきなり数倍に膨れ上がったのです。

この時点で私は、
高額の月収(100万円)

といった風俗の持つ魅力に取り付かれていました。
そして、

高収入の鬼

となったわたしは、

風俗業界で更なる力試しをしたいという、強い衝動に駆られていたのです。

その思いを抑えきれず、恩人でもある母に頭を下げ、
訳を話し、許しを得ることになりました。

挑戦から1年半が経ち、
いまでは、父の残した会社は上手く回り始め
借金も全て返済することができました。

そして、風俗を辞めて再び、父の会社の代表取締役に就任し、新たな日々が始まったのです。

会社ではすでに優秀な社員に囲まれ、
私のこれまでの経験をはるかに上回る
たくさんのノウハウが蓄積されていました。

そう、ここにはお金儲け「商売」に関する
"本物の知恵"が集積されていたのです。

私は風俗で稼いだお金を、借金ではなく社員達の給料(人件費)に先行投資したおかげで、借金返済だけでなく本物の富を得る事に成功しました。

当時、社員からは
「自分達の給料を社長自らが体を張って稼いでくれてるなんて知らなかった・・絶対に起死回生してみせる!」

と、涙をこらえながら何度も励まし言い聞かせてくれました。

いま思う事は、お金が全てではないけど・・・
お金があると他人や家族を本当の意味で幸せにしてあげられる

あの時、
母が流がした「悲しみと怒りの涙」は、
再び「感動と感謝の涙」として流れ始めたのです。

そして、最後に、
1億円が返済できた全ての要因は「アルバイト」
そう、たかが、高収入アルバイトだったのです・・・
お給料をこんな事に使ってます(8)
神奈川県 A・Wさん 28歳
____夢だったネイルサロン開業!

私は高校をいじめられて退学した、いわゆる中卒です。
当たり前ですが、私は頭がいいわけではなく、親や同級生に対しても言いたいことが一切言えないとてつもなく地味な子供でした。

私はダメ人間になったことを親のせいにはしたくはないのですが、事実、親の金遣いはめちゃくちゃ荒く、ギャンブルで生活費もままならない状態でしたので、給食費を期限内に払った記憶なんて一度もありません。

もちろん、周りの人間との会話もほとんどないので、友達なんかも一人もいませんでした。
勉強がよくできる幼馴染みとは、いつも比べられた記憶があります。

そんな私も歳を重ねるごとに「ネイルサロン独立」という夢を持ち始めました。
独立をすることで、社会的に成功し、周りの人間を見返してやりたいという気持ちが芽生えたのです。

昼間は派遣社員をしながら、5歳、歳下の「先輩」に罵倒されながらも、私は「独立」という夢だけを持って歯を食いしばりながら必死に耐え続けました。
その安月給だけでは貯金が全く貯まらなかったので、掛け持ちで高収入アルバイトをする事に決めました.

たまたま、ネットで見つけたオーシャンズリクルートに応募してスグに副業をはじめました!
そしたら初月から昼の仕事より稼げたので、これだ!と思い、思い切って派遣の仕事を辞め高収入アルバイト一本に絞りました。
働き始めてから半年で開業できるなんて、自分でもビックリしました!!
こんなに短期で稼げるお仕事ってあったんですね。

業種はメンズマッサージレディ

●日給42000円×週5日勤務
●月給840000円×6ヵ月
●貯金総額「5,040000円」

HP⇒ ネイルサロン
お給料をこんな事に使ってます(9)
東京都 T・Kさん 26歳
____■いじめ、パワハラ、長時間労働、体罰

これまでは介護って立派な仕事だと思っていた。いずれ高齢化社会になるし、福祉だから優しい人たちが多いだろうって。そのときは、私なんかでも誰かの役に立てるかな、みたいな前向きな気持ちがあって、頑張ろうって。未経験、無資格で介護職になった。

でも、介護は本当にひどかった。すごくブラックで、連続出勤、サービス残業、経験したことない長時間労働。それと、いじめとかパワハラがすごくて、おかしくなりました。地獄のようなところでした

無資格、未経験だったのでパート採用、時給950円。介護施設は心優しい人たちが高齢者や地域のために笑顔で働く、というイメージだったが、私が働いたのはお泊りデイサービスという業態だった。

お泊りデイサービスとは、デイサービスがオプションで宿泊を提供し、24時間年中無休という法の隙間をぬった業態で集客する。数ある介護サービスの中でもブラック労働の温床となり、問題視されている。

今思えば、労働基準法をいっさい守ってなくて無茶苦茶でした。みんな朝9時から夜10時とか長時間労働をさせられて、イライラしてその矛先が私に向かってくるみたいな。最初の会社の比じゃないほどひどかった。

何人かの男性の介護職員から些細なことで怒鳴る。小さい施設でしたが、毎週誰かが辞める。私は欠員要員みたいにされて、ひどいときは15連勤とか30時間労働とか。あと介護職は読み書きが苦手な人が多くて、介護保険事業はたくさん書類があるので、全部私がやらされた

働いたお泊りデイサービスでは、介護職だけでなく、長時間労働に耐えられなくなって、3カ月から半年のペースで管理者が変わった。ほとんどの上司は長時間労働でうつ病になって辞めていった。

長時間労働はすさまじかった。日勤からそのまま夜勤、さらに帰れずに日勤をして、さらに残業で書類仕事をするという異常といえる労働が日常茶飯事だった。過酷な労働環境で離職は延々と続き、つねに人手不足。休日も呼びだされて長々と働かされた。

残業代不払いとか、休憩がないとか、残業を割増賃金にしてくれないとか、どれだけ頼んでも社会保険に加入してくれないとか。介護時代におかしなことは、挙げていけばキリがないです。

どんだけのひどい扱いをされても、ほかに行き場所がないから辞めるわけにはいかなくて、1年半続けました。どれだけ人が入れ替わってもいじめみたいな事はなくならなくて、意味なく怒鳴られたり、いじめられた思い出ばかり。

長時間労働は12時間を超えたあたりから精神的にツラくなる。おかしくなるんです。だけど“どうして普通に帰れないのですか?”とか不満を言ったら、クビになるって思って我慢しました。非正規のパートだから仕事を入れてもらえないと、家賃が払えないから死活問題です。介護施設には、そういう自分の状況をうまく利用されました。

労基法無視の長時間労働、パワハラ、いじめ、残業代不払い、社会保険未加入と、これ以上ないひどい労働環境。一人暮らしで、日々、生活費を稼がなければならないプレッシャーがあったことは理解できるが、どうしてそのような過酷なブラック労働に極度のウツ状態を脱却できたのかって・・・

それは高収入アルバイトのお仕事を体験したからです。

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__■風俗店だと、みんな優しくなる

長時間労働で低賃金、家と介護施設の行き来だけ。介護職の人たちは弱い者いじめが好きなので、文句を言わない私はいつ怒鳴られるかわからない。ずっとビクビクしていました。さらに介護される側の高齢者も私に対してどなり散らす事も日常茶飯事さすがに我慢ばかりしている私もおかしくなります。

長時間労働させられて私生活みたいなのがまったくない状況は、みんな同じだった。介護施設に勤めて1年くらい経ったとき、どうしてもお金が必要で、週1の休みだけ風俗店で働きました。

そしたら驚いた事に、お客さんやスタッフ、働いている女の子はみんな優しくて・・今までどんな職業よりも悪いイメージしかなかった風俗業界が、まるで楽園のようにも思えるぐらいでした。

私を初めて指名してくれたお客さんは70歳を過ぎた高齢者です。
その男性はとても優しくて、「風俗でこんなに癒された事はないよ」って言葉まで私に投げかけてくれました。
やる事は、介護の仕事となんら変わらないのに何で、こんなに充実してて楽しいんだろうって、心の底から思いました。

しかも介護では12時間働いて日額1万円程度。それが風俗だと6時間で8万円。

「"収入は能力より働く場所で決まる"。。」

まさにこの現実に気ずいた瞬間でした。

それからは貯金もたまり
念願のカウンセラーの資格をとる事もでき

今では以前の私みたいな人の悩みや相談に乗る「心理カウンセラー」のお仕事をして毎日充実した日々を送ってます。

もし、あの時オーシャンズリクルートに応募していなかったら

今の私はなかったと思います。
お給料をこんな事に使ってます(10)
千葉県 E・Kさん 25歳
●母親に海外旅行と造園のプレゼント
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お母さん、30年も必死こいて働いて結果がこれなの

―― 子供の頃、どの家庭でも母親は深夜に帰ってくるものだと思っていました。

私の母は平日はもちろん土日も大抵終電で帰ってくるので一緒にご飯を食べないのが当たり前、
たまの休みには一日中寝ているから顔を見ることもほとんど無い…
母と子というのはそういうものだと思っていたのです。

しかし多くの友達と話していく中で普通はそうではないと知り、もしかして私の母はとんでもなく不幸なんじゃないか?

ひょっとすると自分もそんな風になってしまうのか?
そんな事を少しずつ考えるようになりました。

最後に母の笑顔を見たのはいつだろう。
何を楽しみに生きているのだろう。

起きる。

朝食もそこそこに満員電車に押し込まれ、
ただひたすらに働き続けボロボロになって帰宅し、
死んだように眠る。

そんな毎日を繰り返す母を見て育ったものですから、
自分にもそんな未来が待っているような気がしてきて
恐ろしくなりました。


ある日、やりどころのない漠然とした不安に耐え切れず、いつものように終電で帰宅しコンビニ弁当を温めもせずに口に運ぶ母親に

思い切ってこう聞いてみました。

「そんな毎日で人生楽しいの?」

と。

その時、蚊が鳴くような声で放たれた母の言葉は
今でも忘れられません。

「お前たちを食わせるためだよ、仕方ないでしょ…」

「…… …他の方法あるなら教えてよ」…。


母さん、ごめんね。

自分の自由を全て投げ捨てて家族のために働いている。

そんな母親に私は今まで迷惑ばかり掛けてきました。
年々小さくなっていく母ですが、疲れていても、今も家族の為に頑張ってくれています。
「人様の役に立ちなさいよ、人様の幸せを願いなさいよ、この世で恩返しをしなさいよ」 が母の口癖です。
母の愛は大きいです。
なかなか、照れくさくって言えないのでこの場をお借りして お母さん、ありがとう。

業種はアロマエステ
時給4200×5H
週5日勤務
月給504000円×6ヵ月
貯金額「3024000円」
お給料をこんな事に使ってます(11)
東京都 N・Kさん 31歳
----2800万相当のマンションを購入しちゃいました。
上層階から眺める夜景は癒されますね

私は現在31歳なんですが
歩んできた人生をお話すると、かなり驚かれます。

幼少期に両親は離婚、その後父親に日々虐待を受け、
7歳くらいになればそれもエスカレート。

ささいな事で、顔面を思い切り蹴られる
そんな子供時代でした。

そんな父が、事業で失敗し自己破産
身内から借りた金額は1,000万を超えて、
泣きつかれた私は昼も夜も働き、私が全額返す事に。

その後のちに結婚する相手と同棲をはじめ、
これで幸せが訪れると期待していた矢先、
ある友人に騙され500万の借金を負うことに

1,000万を返し終えた直後に降りかかった500万…
もう気力が失いかけていた時に出会ったのが高収入のお仕事でした。

彼氏と同棲中に高収入のお仕事に出会い
500万を返し終え結婚。

幸せな生活で順風満帆にと思っていた。

2年後、夫の不倫が原因で離婚
さらに多大な借金が判明。

もう自殺以外ないと何度も思いました。
そんな人生です。

ただ、今ではその借金も完済し、生きてきて思ったのは

最後に頼れるのは結局・・自分だけなんだ・・・

歩んできた人生が人生なので
友達や師匠には対人恐怖症と言われてますが。笑
人と接することが少なかったのでちょっと人見知りなだけです。

私の人生色々ありましたが
今では順風満帆な人生を歩んでいます。

高収入のお仕事と希望があれば何度でもはい上がれる

高収入アルバイトに出会い、仲間に恵まれ
尊敬する先輩。

人の出会いや人を気持ちを大事にする仲間に出会え、
私自身もそう思えるようになりました。

現在ではライフスタイルも充実させながら、ありのままで自然にお仕事。
現在はシングルマザーです。
正直、不安や焦りを感じていましたが、 少しでも楽な暮らしになりたい一心だけで無我夢中で働いた結果 きずいたら大勢のお客様に指名され高額な収入額を稼ぐ事ができました。 チャレンジして本当に良かったと心の底から思います。

業種はセクシー系
日給60000
週5日勤務
月給6000000円×6ヵ月
貯金額「36000000円」
お給料をこんな事に使ってます(12)
東京都 M・Cさん 28歳
-------手術をしないと死ぬしかない難病でした。


私がお金を稼げるようになったのは、

お金が無いばかりに、大切な人の命を
救うことが出来なかった辛い経験があるからです。


小学生の頃、私はおばあちゃんに、
母のように育てられていました。

ですが、その大好きだったおばあちゃんが
突然「ガン」になってしまったのです。

余命半年と宣告されました。


お金があれば、必要な医療を
受けることも出来たでしょう、
それによって、延命だってできたはずです。

だけど、お金が無いから
満足の行く治療が出来なかった。

おばあちゃんは私の目の前で衰弱し、
痩せこけ、最期は毎日毎日痛い痛いと
泣きながら死んでいきました。


悲しかったです。

見ているのが本当に辛かった。

小学生だった私の小さい手で、
力の抜け切ったおばぁちゃんの手を、
一生懸命さすりながら、
可哀そう可哀そうと言って、
私は毎日泣いていました。



でも何もすることが出来ませんでした。
ただただ、死んでいくのを見ているしかなかったのです。

お金が無いから何もできない。
大事な人が死んでいくのを見ているしかない。


本当に無力だなぁって思ったんです。


だから、


大事な人を守るためにも
お金を稼ぐのは本当に大事なことなのだと
子どもながらに痛感していたのです



その上、今度は
出産直後の娘が、命の危機にさらされることに。


双子で生まれたうちの一方の子が、
生まれつき、心臓に奇形があり、
手術をしないと死ぬしかない難病でした。



医者から言われた手術費は

1回1000万円。

それが将来も何回も訪れる


そんな大金を用意することなど、
到底出来ないと思いました。




「死ねってことですか?」



私は何度も医者に問い詰めました。


やり場のない怒りを医者にぶつけました。


でもそんな事では問題は解決しませんでした。


自分がお腹を痛めて生んだ子どもなのに、
死んでいくまでの間ずっと見ているしかないのかと、
絶望に打ちひしがれていました。


その絶望に追い討ちをかけるように、

同じような重症の病気を抱えた別の子どもたちが、
一人、また一人と亡くなり、

ただただ泣いて
最期を見届けるしかない親たちが、
同じ緊急病棟にたくさんたくさんいらっしゃいました。



そんな時、私は
おばあちゃんのことを思い出しました。

やっぱりお金が無ければ何も出来ないんだ!

大事な人の命を救うことも出来ないんだ!


そう再び痛感したのです。



でもどうしても私は嫌でした。

今回は諦めたくありませんでした。

娘だけは絶対に死なせまいと決意したのでした。


主人も障碍者でしたので働けませんでしたから、
私がやるしかない、私が稼ぐしかない、
私が稼がないとこの子死んじゃうんだって、


そこで私の本気のスイッチがカチッと入り、
私はがむしゃらに命がけで行動したのです。


絶対嫌だ! 絶対私は稼ぐ!

諦めたくない!

絶対に稼いで娘の命を救うんだ!

その強い決意で。



結果として稼ぐことができて
娘の命は救うことが出来ましたが、

だから覚悟が何よりも強烈だった
ということなのです。


ただお金持ちになりたいとか、
良い暮らしがしたいとか、
豪邸に住みたいとか、
ブランド物やアクセサリーが欲しいとか、

そういうことではないのです。



愛する人、大切な人の命を救うために、
絶対に何が何でも必ず稼ぐ!


そういう覚悟を持ってやったので、
結果的に大きなお金を得ることが出来、
結果的に豪邸にも住むことが出来ただけのことなのです。




あの時、娘が心臓病で
1000万円が無ければ助からないと言われた時、

私がただただ弱音を吐き、言い訳してたら、
娘はそのまま死んでいたでしょう。




だってお金が無いからどうにもできないよ!

そんな1000万円なんて稼げないよ!

普通の人が1000万円なんて用意できるはずないじゃん!

誰も貸してくれないし、
国も何にもしてくれないんだ!

私は被害者だ!

なんで私ばかりこんな目に遭うんだ!



そんな弱音や言い訳ばかりを私が吐いてたら、
娘は今この世にいません。


言い訳してたら娘を助けることは
できなかったのです。


どうしてもどうしても、
死なせたくない一心で頑張ったから
娘を助けることが出来たのです。



もともと私に稼ぐ能力があった

家がお金持ちだった

誰かがお金を貸してくれる恵まれた交友があった


いいえ、全て違いますよ。


私がお金を稼げるようになったのは、


「覚悟」を決めたかどうか、


ただそれだけです。



おかれた状況も、境遇も関係ありません

能力だって関係ありません

それまでの経験だって関係ないし、



どんな理由も関係ないのです。



目の前の現実から目をそらさずに、

逃げずに、言い訳しないで行動したから

こうしてゼロから1000円を稼ぎ娘を救えたのです

ゼロからですよ、本当にゼロから。
お給料をこんな事に使ってます(13)
東京都 N・Mさん 21歳
「役者になるという夢を捨てられなかった」

私は、大学生で、夢は役者になることで、劇団サークルにも所属しています。
演劇が好きで、仲間と演劇について夜中まで語り合うことが本当に楽しいです。

しかし、3回生になり、サークルの友人たちの多くが、大学卒業後のことを考え、就職活動を始めました。
しかし、私は、役者になる夢が諦められず、「時間に縛られることなく、副業アルバイトは誰でも簡単に稼げる」と週刊誌に書いてあった記事を読んで、副業アルバイトにとても興味を持ち、就職せずに、副業アルバイトで稼ぎながら役者として生活できるまで頑張ってみようと考えました。そして、テレフォンオペレーター、コールセンターイベントスタッフ等。いろいろと挑戦してみました。

結論から言うと、自分の考えが甘かったことを痛感しました。
どの仕事も時間だけが長く思ったより稼げなかたのです。

しかし、私にはほとんど時間がないので、そもそもが無理だったのです。

そして、時間をかけないでできる「誰でも簡単に稼げる!」という求人広告を見つけては、応募してみたり、しかもいざ面接してみると、結局はハードワークしかなかったり、何度がっかりしたか分かりません。

オーシャンズ・リクルートさんに出会ったのは、正直、将来のことを考えると「役者になるという夢を諦めるしかないのかなあ」と迷っていた時です。初めて、ホームページを見た時は、「こんな業種でほんとに稼げるのかな」と思いました。なぜかと言うと、「月4回で20万」とか「週末だけでお金が稼げる」とか、あまりにも怪しすぎたからです。

もし、それが、本当だったら、今まで私が経験してきた副業アルバイトが一体なんだったのか分からないからです。

オーシャンズ・リクルートさんに教えてもらった、片手間で稼げる“ある業種”(あまりにも意外過ぎて、最初は、まさかそんな簡単な高収入アルバイトなんてあるのかと思いました・・・)で月に平均すると40~60万円ほど稼いでいます。

また、事務局の方から教えてもらったバイト先で、演劇の公演の告知をしたりしているのですが、私達の演劇にも少しずつファンがつくようになってきました。また、私の知らない所で、ファン同士が交流してくれているみたいで、ファンの数がどんどん増えていることを実感しています。正直、今まででしたら、考えらないことでした。告知といえば、ずっと、ビラを配るくらいしか方法がありませんでしたから。

また、秋葉原でアイドルやライブ活動している友人にオーシャンズ・リクルートの事を教えてあげると、それがきっかけで、なんとTVで自分たちのグループが紹介されることになり、とても喜んでいました。今では平日でも満席の日が多いと言っていました。

しかも、オーシャンズ・リクルートの業種はあまり表にはでてない仕事内容もあるので、簡単に収入が上がってしまいます。月に40万円もあれば、同年代に比べると結構稼いでいますし、自分の夢のために時間を使え、夢に近づいていることを実感しているので、毎日がすごく充実しています。OCEANS RECRUITと出会えたことで、私の人生は本当に劇的に変化しました。夢を追いかけている方や時間に縛られたくない方には、オーシャンズ・リクルートのお仕事は本当に人生を変える最高の近道だと思います。
お給料をこんな事に使ってます(14)
東京都 S・Kさん 26歳
はじめまして、S・Kです。

「好きなことをしてお金を稼ぐ」というのは、全ての人が思い描く夢だと思います。

私自身、ほんの数年前には、
「好きな事だけをしながら十分にお金を
稼いでいくということを、 いつかは達成したいけど、
本当に達成できるのだろうか。」
などとぼんやり考えていました。

しかし現実は日々の残業に次ぐ残業。
疲労とストレスが雪だるま式に膨れ上がり、肩や首はいつもガチガチ。

そんな状況の中で様々な稼げるといわれている高収入バイトに手を出しましたが、
どれも美辞麗句に塗り固められた広告に騙されていたことに気づくだけで、
全く何一つものにはなりませんでした。

そんなとき、私はある副業に出会ったのです。

そして仕事帰りや休みの日を使ってシフトを入れ、色々と体験してみる。
するといとも簡単に20万円の副収入を初月に叩きだしたのです。

私はその時、「これなら行ける!!」と確信しました。

これまでのバイトには無い、ワクワク感とドキドキ感。
長い真っ暗なトンネルの遠く向こうに見えている小さな光が
だんだん大きくなってくる感覚がしたのです。

このアルバイトをやって行くにつれ、またあることに気づいたのです。
これまでやってきている業種に、もう1つの業種を加えたらどうなるのか。
私は思いついたら即行動しないとダメな人間なので、すぐにWワークを実践してみました。
すると僅か2週間足らずで、17万円のさらにプラスの副収入を生むことが出来ました。

これまで一本柱の稼ぎ方でしかやっていなかったのが、もう2本の柱を立てることにより、
さらなる副収入を稼ぎ出せたのです。

それが「オーシャンズリクルート」です。

今、これを読んでいるあなたの目の前に、日常を豊かにできるチャンスが間違いなく存在しています。

是非、そのチャンスを掴んでください。
お給料をこんな事に使ってます(15)
東京都 せりな 24
この度はオーシャンズリクルートさんに取材を受ける事になりました。
オーシャンズリクルートで登録された方には是非、年収2千万円を目指していただきたいですね。

年収2千万円だと月収で200万円強。毎月、給料日になると税金などもろも引かれても185万円ほどが指定の口座に振り込まれます。
特に贅沢をしなければ2か月もすれば貯蓄は400万、半年もすれば通帳は1200万円になっています。
それでも給料日になれば毎月、毎月185万円が振り込まれてくるのです。
これが年収2千万円の生活です。

ちょっと現実味のない話だなぁと思うかもしれませんが、実際に『世の中には年収2千万円を稼いでいるホステスはゴロゴロいるんです。』
ぶらっと銀座に行けば衝動買いで30万円の腕時計を買ったり、車を買うときも値段なんて気にせず、欲しい車を探して即金で買います。
毎週エステに通うのもいいですね。
食事は毎日外食。高級レストランには顔パスではいり、ゆっくりとワインを飲みながらコースを味わう。
少し飲み足らなければ都内の一流ホテルのラウンジで夜景を見下ろしながら軽くカクテルを。
『週末は時間があるからバリにでも行こうか?』なんて話をするのもいいですね。
こんな非日常生活を毎日当たり前のように出来る。それが年収2千万円なのです。
そして、皆さんにも目指してもらいたいのが年収2千万円の生活なんです。

年収2千万円を達成するには年収2千万円の仕事を知らなければ実現できません。

「”収入は能力より働く場所で決まる”」これが現実です 異業種に挑戦する事で今までの人生観を全く変えてしまうほどの経験が出来ます。 そうすることにより、夢物語であった年収2千万円にぐっと近づけるようになるでしょう。

本気で年収2千万円を目指す!新しい人生に是非、足を踏み入れてください。
お給料をこんな事に使ってます(16)
東京都 H・Mさん 24歳
オーシャンズに出会うことができなければ、
ずっと変わらないの日々を続けていたと思います。
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私は、現在24歳で、2人の子供がいます。高校1年生の時に妊娠して、高校を中退しました。その時に付き合っていた彼氏と籍を入れて幸せな結婚生活を夢見ていたのですが、DVや浮気が絶えず、子供の将来のこともあり、離婚を決意しました。夫がギャンブルばかりでほとんど働かなかったので、慰謝料はなしでしたが、親権は私が取りました。離婚したはいいものの、親の反対を押し切って家を出たので、頼れる身内もいないし、生活していくためにも、夜の仕事をせざるを得ない状況でした。

昼間は子供が起きているため、夜に2人の子供を寝かしつけてからしか、働くことはできませんでした。いつも、夜9時くらいに子供2人寝かせてから家を出るのですが、私が仕事に行くのを理解しているのでしょうか、寂しいのを我慢して、子供達が寝たフリをしてくれているのが、本当に胸が痛かったです。早くこんな生活を抜け出したいと思いながらも、他にどうすることもできず、子供の教育費も不安な状況で、このまま将来どうなるのかと、毎日おびえるような生活をしていました。

そんな時、お店で働いている友達が、「副業でかなり稼げるバイト知っているよ」と言われ、ご紹介して頂き、Wワークでお金を稼ぐバイトを教えて頂きました。TVでオーシャンズリクルートについて何度か見たことがあり、なんとなく知ってはいたものの、月数回のシフトである程度のお給料を得るなんて、とても信じることができませんでした。

私の生活を心配してくれた友人が、「子供のためにも、夜もそばにいてやりながら効率よく稼がないとダメだよ。私が登録先の会社紹介する」と言ってくれなければ、今の私はありません。

すぐ登録会に参加して「私に合ったあるお仕事」を紹介して頂き、わずか2カ月で、すぐに夜の仕事の収入を上回りました。今では、夜の仕事をしていた頃の何倍も収入があります。今は、子供の将来のために、貯金をしています。私は、今まで、仕事と言えば、勤めるものと思っていました。しかし、私のようなシングルマザーでも、専業主婦でも十分にできると思います。

私の友人にも教えましたが、彼女も、今では旦那よりも収入があると言いました。先月は、子供二人を連れて、生まれて初めてハワイに行ってきました。子供達のはしゃいでいる姿が本当にまぶしくて、こんな生活を実現させてくれたオーシャンズリクルートには頭が上がりません。
お給料をこんな事に使ってます(17)
東京都 N・Tさん 24
私が高収入アルバイトの業界に入ったのは1年前。23歳だった。以前はコンビニの店員として働いていた。
初めての一人暮らしで、家賃や生活費をまかなうので精一杯。洋服代や食費を工面するために軽い気持ちで消費者金融に手を出した。

額は多くはなかったが、借り入れは毎月続き、利子はどんどん積み上がった。

最終的には、友人からお金を貸してほしいとせがまれ、数十万円を貸ししたことでした。
しばらくして友人は音信不通に。私の借金の総額は300万円以上にもなっていました。

コンビニ店員の稼ぎだけでは到底返済できない。コンビニを辞め、高収入アルバイトに足を踏み入れました。

「自分が悪いのはよくわかっています。でも、親兄弟を頼ることはできませんでした。当時の私には、風俗しかなかった」

お人好しの私は今でも人にお金を貸してしまう事があります。

「友人にはどうしようもないバカだよね!」

って言われる事もあります。

でも、

私の口座の残高は100万円をきる事はありません。
お給料をこんな事に使ってます(18)
埼玉県 M・Nさん 34
今月も順調で、月収が68万7000円になりました!

これまで奴隷のように働いてきた
本業の飲食店の給料の手取りの金額を
ついに越しました!

お仕事をご紹介いただいてから
わずか2ヶ月弱でここまで稼ぐことができました。

本当に本当にありがとうございます!

しかも、オーシャンズリクルートのすごいところが、
ただ単に業種だけ紹介し務まらなければ、「退会」ではなく、自分に合った、しかもなるべくストレスフリーで、「これならできる!」と言うまで何度でも紹介し続けるおまとめ型紹介派遣システム!

あとはシフトを組んで体験入店し続けるだけ
もちろんその間、お給料も発生するから安心!

まだまだ
現状に満足していないです。

目標はまだ先にあるので、
引き続き全力で努めます、
事務局の方の目玉が飛び出るくらい
稼げるように頑張ります!

昨日、勤めている飲食店で休みをもらい
3歳の息子と自転車を買いにいきました。

これまで息子に与えてきた洋服やおもちゃは
新品を買ってあげることができずに
全てリサイクルショップなどで
中古の物を買ってきました。


一緒に買い物に行っても、
息子が欲しいと言う物を
買ってあげることができなくて、
テキトーに誤魔化して泣かせてました。

先日、友人から
息子が友達の持っている自転車に乗せてもらい
すごく楽しそうにしていたという話を聞きました。

そして昨日、
少し余裕ができたので、
息子と自転車を見に行きました。

そして初めて、
息子が欲しいと言った新品の自転車を
買ってあげることができました。

自転車にまたがる息子の笑顔は、今まで見たことがないほどの満面の笑みでした。

私は隠れて泣きました。
本当にこれまで申し訳なかった。

きっとずっと我慢していたんだなと思うと、涙が止まりませんでした。
お給料をこんな事に使ってます(19)
東京都 N.Yさん 28歳
★会社設立で1億円突破!
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私が学生時代、友人とネット通販のアパレルショップの会社をやるといったとき多くの人は、鼻で笑いました。

親には、小学生に語りかけるように優しく「身の程をわきまえて」と言われました。

本気で止められたり、怒られたりしなかったのは、この子が起業なんて
考えられないと思われていたからです。
私は、バカでした。

しかも、これといった特徴がなく普通過ぎるほどに普通の子どもでした。

一度会った人にすぐに忘れられる本当に目立たない子どもでした。

頭も良くなく、カリスマ性もない、そんな私が起業をすると言いだしたの
ですから、多くの人は本気にしませんでしたし「あなたには無理でしょう」と、思われていました。
そして、予想通り起業資金がまったくなく立ち上げるに及びせんでした。

起業とは名ばかりで、2年近くPCで Photoshopなどでデザインを勉強していたものの
1円も売上を上げることができませんでした。

早朝に日雇いのアルバイトをして、午後から自分の仕事をしていました。

自分の仕事といっても学習、当時は一生懸命やっていたのですが
今考えると、これじゃ売上は上がらないよな、と思うことばかりです。
借金だけあって、日雇いバイトの収入しかなかったので
家で母親の作ってくれるご飯を食べて生活をしていました。

今でいうところの単なるニートです。

やがてあまりにも家族や親戚や近所の目が冷たくなり、
母親も心労から病気がちになってしまい、逃げるように実家を飛び出しました。
しかし、手持ちのお金は全くなく、あるのは借金だけでしたので、
東京の大久保というところに住んでいる友人の家に転がり込みました。
友人は在宅でハンドメイドの仕事していて非常に優秀な人でした。

私はそこで、完全なる温情で雑用のような仕事をさせてもらいながら
なんとか毎月6万円程度の現金を得るようになりました。
寝床、お風呂、トイレをタダで使わせてもらい、友人からおごってもらったご飯や
冷蔵庫に残った食材でご飯を作りながら生活をしていました。
1日500円以下の食費で毎日過ごしていました。

結局、この友人の家には1年近く居候をさせてもらいました。

友人には今でも心から感謝しています。

当時、こんなことがありました。

姉に用事があり、姉が勤めている会社の近くでランチをすることになりました。

場所は東京の丸の内で、おしゃれなOLさんやできるサラリーマンが集まるエリアです。
私は、そのときばかりはきちんとした格好をしようと思い、当時もっていた
一番きれいなズボンと靴とセーターを着て、おしゃれをして待ち合わせの場所に向かいました。
丸の内に到着し、姉を見つけた私は手を振りながら笑顔で近づいていきました。

すると、私が近づくにつれ姉の表情がみるみる曇っていくのが分かりました。
何が起こったのだろうと思い小走りに近づきました。

すると、姉は開口一番
「何その汚い格好・・・同僚に見られると
ホント恥ずかしいから止めて欲しいんだけど・・・」
と心底迷惑そうに言いました。

私は、驚いて周りを見回すと、確かに明らかに自分の格好が浮いていることに気がつきました。

周りの人がピシッとしたシャツやスーツを着ているなかで、私だけ
穴だらけのしわくちゃなズボンに、白が茶色に変色している
スニーカー、セーターは毛玉だらけでした。
私は、姉の言葉にショックを受けたちまち脳天気な自分が恥ずかしくなり
その後お店に入るまでの間ずっと下を向いて歩き続けました。
ランチが終わったあと、姉がそっと3万円を私に差し出し
「これでちゃんとした服を買いな」と恵んでくれました。
帰りの電車のなかで、酷く私は落ち込みました。

気づけば、学生時代の友人たちは社会人として数年がたち
キラキラとまぶしい表情で仕事に打ち込んでいました。
みんな若者特有のまぶしさがありました。

同年代の人たちが輝いていくなかで自分だけが取り残されたようでした。

増え続けるのは借金だけで薄汚い洋服を着て生きていくだけで精一杯でした。

夢も希望もない毎日のなかでこのままパッとしない人生を
生きていくんだと諦めはじめていました。
今から就職をしてもきちんとした就職先に勤められるはずもなく
もしかしたら、将来はお嫁にもにもいけず生涯孤独に生きていくのかな
という不安もリアルに感じていました。
そんな私に、大きな転機が訪れます。

それは

『高収入アルバイト』

との出会いでした。

短期間に時間もお金もそこそこ得られる副業ことです。
最初は初めてで戸惑いもありましたが、
人と話すことがすきだった私には、向いている仕事でした。
あまりにも仕事に熱中し過ぎて体調を壊し、頭痛が酷くなり言葉が
うまくしゃべれなくなったことも数度ありました。

そしてスタートから約12ヶ月で起業資金は貯まり
友人とお金を出し合い本格的に会社を設立し、社員まで雇うようになりました。
そして、2013年に会社を設立してからは、2期目でショップの売上が3千万円を突破しました。
その後も売上は伸び続け気づけば、会社の売上は1億円になり、噂を聞きつけた大企業から信じられないようなオファーも届くようになりました。

小さいながら過去の自分からは考えられないような結果を
出すことができました。

高収入アルバイトというたった、ひとつの情報が私の人生を変えてくれたのです。

ビジネスがうまくいくようになって本当にうれしいのは
今まで、心労をかけてきた両親の誕生日や
結婚記念日に旅行をプレゼントしたり
仕送りを毎月できるようになったことです。
そして、もうひとつは、昔からの夢を叶えながら
仕事をできるようになったことです。

私は、小学生時代から、日本中や世界中を旅したい
という夢と、海外で生活をしたいという夢を持っていました。
今、私は友人を社長に迎え裏方プロデューサーとして
バックパッカーのように日本中や世界中を旅しながら、
好きな場所で好きな時間にパソコンひとつを持ってビジネスをしています。
南国のビーチで寝転び、気が向いたらパソコンを
取り出し仕事をする、そんな自由で何にも縛られない
生活を送り始めています。

東京にいたころのように、余計な付き合いや夜遊びをしなくなったので
自由に暮らしながら今まで以上に仕事で結果を出すことが出来ています。
パソコン1台あれば、場所にも、時間にも、嫌な人間関係にも
縛られずに、自由なライフスタイルを送りながら、売上を上げることができます。
東京の会社にいなくても、Tシャツに海水パンツ姿でも、仕事はできるのです。

結局、姉に恥をかかせたときからあまり格好は変わっていません(笑)

誰も知っている人がいないところで格好をつけても意味がないですから。。。

もちろん、この状況は東京で支えてくれる会社のスタッフのおかげではあります。
私の人生は本当に変わりました。
もし、オーシャンズリクルートに出会わなかったら今でも、借金に苦しみ、さんざんな目にあっていたと思います。
お給料をこんな事に使ってます(20)
東京都 T・Yさん 27歳
★ホンダ ハスラー 新車166万円
★ルイヴィトンのトートバッグ 88万円


私がオーシャンズリクルートに出会ったのは、 激務のコールセンターの夜勤で神経をやられ、
うつ病になってしまって自宅療養を余儀なくされた時でした。

登録当初はモチベーションが上がらなくてほとんど出勤をしなかったので全然稼げなかったんですけど、

うつ病の症状が少し軽くなってきた時に、 1日1~2時間くらい仕事をするようになったら
すぐ一日2~3万円くらい稼げるようになりました。

一度成果が出たら、そうですね。
もうお客さんがどんどんと集まっていくのがすごい楽しくなっちゃって、気付いた時には最高月収100万円を突破していました。

はじめは高収入系って聞いた時に、
正直うっ、って思ってという登録をやめようかと悩んだりもしたんですけど

実際に勇気を出して応募してみて、
高収入系ってこんなに簡単なんだ♪って感じでサクサクと稼ぐことが出来ました。

オーシャンズリクルートは業種だけじゃなくてサポートもすごい充実していて、
まさに『高額収入ナビゲーション』っていう感じですかね。


仕事がはかどらないどうしようか悩んだ時に、事務局に相談してみると
すぐに解決に結びつくアドバイスが帰ってくる

稼げるようになった今でも、時々事務局サポートに相談して自分の務め方が
間違っていないか確認しています。

また、モチベーションの上がらない自分を、時折つついてくれる
事務局スタッフには感謝です。

私のやる気が出ない時を狙いすましたかのように、連絡が来て、
「よし!作業をしよう」と思わせてくれるんです。
あれはなんでだろう 監視でもされているのでしょうか(笑)

今までは会社からお給料を貰うだけの生活だったので、
病気になったり、会社をクビになったりしたら
自分の人生は終わるんじゃないかと毎日を不安に過ごしていたんですけど、
派遣登録し自分自身の力で稼げるようになって、
「あー会社をやめても全く問題なく生きていけるんだ」と
気持ちにすごく余裕が出来ました。

応募して本当に良かったです。

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